NIKKEI Primeについて
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「共産党が統治を続けるには、大企業の成長を制御し、起業家の発意を抑制しなければならない」のは確かだろう。だが、共産党は一党独裁下で民間企業を抑止しつつ、世界第二位の経済大国へと躍進した。その共産党統治が破綻するというなら、従来は大丈夫だったが今後はダメになることを説明せねばならない。従来はなく現在はある問題は人口問題か。あるいは習近平による「強権(極権)政治」か。それでは、習近平への権力集中が問題なのか、それとも習近平の能力が問題なのか。「中国崩壊論の崩壊」という議論が数年前日本であったが、必要なのは「崩壊論」の焼き直しではなく、過去と現在の相違を歴史的視野の下で明確にして議論することだろう。
日本の場合、反日デモなどのチャイナリスクの「洗礼」が早く、2010年前後から、「チャイナ+1(生産拠点を中国だけに依存しない)」、「地産地消(中国で調達、生産、販売)」が進んだ。ドイツの場合、それを現在加速させようとしているということだ。中国から見れば、「友好」的だったドイツなどが方針転換し、以前よりも国際環境が大きく悪化していると映る。だが、国内需要中心の国内大循環によって主として経済を動かしていくというのが現在の中国の方針。外国からの投資については先端産業などには関心を示しても、従前ほどの魅力を感じていないかもしれない。デカップリングはしないというが、どの程度で均衡するのかがポイントだ。
今回の全人代のポイントの一つは国務院改革。これによって科学技術などの主要分野を国務院ではなく中国共産党がおよそ主管できるようになる。経済については、制度もあるが、人事面で習近平側近の李強が国務院総理となり、党中央、すなわち習近平の意向が以前より遥かに強く国務院の政策に反映されやすくなるということだ。ただ、経済政策、金融政策などを見た場合、何立峰が前任の劉鶴ほどの力量があるのかどうか不安が残る。特に金融の世界はまだまだ西側中心。中国としてもバランスを取らざるを得ない。誰が何立峰を補佐するのか、また劉鶴が今後どのような立場で政策に関わるのか、それとも完全引退なのかということも焦点になろう。
王岐山も中国共産党の常務委員を退きながら、国務院の方で国家副主席となっていた。それと同じ人事経路を辿っているのが韓正だ。習近平の三期目は2018年の憲法改正以後ほぼ既定方針となり、今回それが現実のものとなった。政策それ自体は2017年に述べた2049年に社会主義現代化強国を建設するという路線を繰り返しているに過ぎない。ただ、先端技術、とりわけデジタル技術が組織制度面でも重視されていることには留意を要する。これが、経済のみならず、情報、軍事、ひいては米中「競争」や台湾政策などとも深く関わるからだ。あと数日で全人代も閉幕するが、それまでに決まる人事の全容、特に経済や金融の担当者が注目される。
時間が経ったが、この記事への台湾側の強い反発が理解できる。「かつて台湾軍は国民党軍として中国で日本と戦った」などは到底受け入れられない表現だろう。日本統治下の台湾では1945年に徴兵制を施行。多くの台湾軍属も日本軍にいた。「台湾軍」が日本と戦ったとの表現は妥当か?また、外省人/本省人という「(一昔前の)テンプレ」ではもう台湾政治は把握できない状況にある。「中国人を親などに持つ」「「外省人」が牛耳る」というが、蔣介石と共に中国から来た人は「外省人」ではなく「中国人」なのか?中華民国国軍の一部に腐敗や情報漏洩事件があり、人事にも問題もあろう。だが、台湾の全体をその多様さ複雑さと共に描けないものか。
この四回の興味深い特集は、「対中強硬路線の人気は陰り」「台湾社会の底流に今「中国寄り」にも傾く系譜が流れ始めた」という言葉で締め括られたが、やや違和感も残った。第一に、統一・独立という構図、民進党が独立派、国民党は「中国より」という図式で、複雑な台湾政治が描けるのか。地方選挙での国民党の勝利が、台湾社会が「中国より」を選択したことを意味するのか?第二に、この構図、図式は1990年代あるいは今世紀初期の「かつて」ものではないのか?「知られざる」系譜なのか?第三に、台湾経済の中国経済への依存は確かだが、中国経済も台湾の半導体に依存している。だからこそパイナップルなどでしか制裁できないのではないか。
別の面から見てみよう。第一に、蔡英文が「外交で対中強硬姿勢」を見せているというが、蔡自身の中国関連の言動は比較的穏当だ。ただ、中国側の思い通りにはならないため中国からは「強硬」だとされている。第二に、SMICに関係したような台湾関係者の語る事実も事実であろうが、TSMCや台湾の半導体関連事業関係者はどう考えているのか。「中国で働く台湾商人、技術者」の見方が台湾全体の見方ではないだろう。第三に、台湾の対外貿易にとって中国が最大の相手であるのは事実だが、中国もまた台湾の半導体関連部品に依存してはいないか。また、中国企業が技術力を高めるなら台湾企業も努力するはずだ。それぞれ多面的な視点が必要だろう。
今回の文書は、これまで述べてきたロシアのウクライナ侵攻に対する中国の立場を繰り返し述べ、部分的に新たに立場を表明したもの。「核兵器の使用への反対」なども、実は2022年11月の日中首脳会談において「ロシアがウクライナにおいて核兵器の使用を示唆していることは極めて憂慮すべき事態であり、両首脳は核兵器を使用してはならず、核戦争を行ってはならないとの見解で一致」している(https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page1_001413.html )。 この文書の公開を通じて、中国としては王毅を中心とする新たな外交体制が形成されるタイミングで、ウクライナ戦争に関して右往左往することがないよう、今後に向けての行動原則をまとめたというところだろう。
上野動物園で産まれたパンダが中国に送られるのは初めてだ。だが、和歌山のアドベンチャーワールドでは、産まれたパンダが中国に送られるのはよく見られる光景である。かつて、上野動物園のパンダはみな中国から「贈与」されたパンダだった。だから子どもも日本に残れた。だが、中国が方針を転換したために、上野動物園でも「贈与」パンダの血統が絶えた後は、金銭を払う貸出(レンタル)パンダを受け入れるしかなかった。和歌山は初めから貸出パンダであったためにこうした経験が数多くあるが、上野は長らく贈与パンダであったがために今回が初めての例となった。中国のパンダをめぐる政策の変化も興味深いものである。
1972年に来日したランランとカンカンはいわばgifted panda、すなわち贈与パンダだった。その贈与系の血統が途絶えそうになった時、上野動物園は世界中の贈与系パンダを探して交配を試みたが失敗した。中国は、21世紀に入る前から方針を転換して、贈与系から貸出、すなわちrental pandaへと舵を切っていた。そのため、上野動物園もレンタル系のパンダを飼育することとなった。贈与系なら子どもは上野に残れるが、レンタル同士のパンダの子どもはいわばレンタルされていない新たなパンダということになるので返還することになる。それが「同園で生まれたパンダが返還に至るのは初めて」というコメントの背景にある。
気球問題がここまで大きな問題になるとは中国側も思わなかっただろう。中国は宇宙、世界の空、海で盛んに観測を実施してきたが、これほどまでの反発を受けたことはなかった。しかし、西側勢力が「浸透」を工作し、カラー革命て中国での体制転覆を企てているという宣伝を国内向けに行なっている中国としては、気球問題を放置することはできない。中国こそが西側諸国に狙われているという話にすべく、気球が中国に飛来していることにした。そうしないと国内的に辻褄が合わなくなるからだ。ただ、今回の件は実態が必要なだけに、話を創出し続けるのは難しい。それだけに早めの幕引きを図るべく、アメリカのいう「意思疎通」に期待することになろう。
中国は、数多くの衛星を打ち上げ地上、海上の様子を把握、また海面にも多くのブイを世界の公海上などに設置、各地に観測船を派遣、海流、海底地形、地磁気の観測を進め、空中には多くの気球を送って気流、気象観測を進める。従来先進国が有していた世界の基礎データを把握し、民間、軍事面の活動に転用していくのが中国の「打算」だろう。さまざまな国際公共財はパワーの源泉であり、そのための基礎データである。その中国の活動を、アメリカや有志国、関係国が協力して把握することには大きな意味がある。中国が行っていること、その意図などを、国際的なネットワークを作って把握し、情報共有すること、それは中国が最も忌み嫌うところである。
日本の東方沖の公海上では中国の測量船が数多く活動している。海洋調査のためだ。また、中国は各方面に気球を飛ばし気流の観測もしている。「地球」の基礎調査を実施し、軍事、民間の活動に利用するためだ。宇宙の衛星網などもこれと関わる。今回の気球もその一部であり、多くの観測機器が積まれていた筈だ。だが、アメリカからすれば「中国」という「異物」がアメリカに侵入しているというイメージに合致する現象で、たとえ軍事的に意味がなくても国民感情的には火がつきやすい。他方、中国としても、「遺憾」を表明するのが精一杯で、アメリカの反応に対しては「反発」するようになる。これも米中「競争」時代の危機管理の難しさを物語る。
日中双方の外交当局が発表した(各々内容が違う)会談報告をまとめた記事。このほかにも中国側は福島の原発の「処理水」の放出について日本が単独で行わないようにと警告をしている。また、中国側の記録では林大臣が2023年の日中平和友好条約締結45周年を一つの契機として「建設的で安定した」日中関係を築こうと述べたとされるが、日本側の記録にはそうした記述はない。全体として是々非々の問答になっているが、外相、首脳交流の継続は約束されており、今後対面での外相会談、首脳会談などが行われていく可能性もあろう。当面はお互いいうべきを言い合う「儀礼」的な会談となろうが、それでも直接習近平の耳に言葉を伝える意味は大きい。
中国としては、ゼロコロナ政策が成功したので、現在それを緩和しているという立場だ。それだけに、欧州からのワクチンを受け入れて、中国製ワクチンの効果に問題があったとは言えないのであろう。中国政府は医療体制の不備については認めており、その面での支援なら受け入れる可能性もあるが、外国からすれば中国の医療体制云々よりも、中国からの移動者が問題なので、今後のことも踏まえてワクチン接種を求めたいところだ。
現実的な見通しだと思う。台湾についても、軍事的に解放する能力を中国が持つ年限を、台湾国防部は2025年、ランド研究所などが2027年に予測する。中国政府の言葉遣いは緊張度を高めてきており、警戒して軍事的にも準備することは確かに重要だ。また、経済については、日本は相当にチャイナ+1を実践しているが、利益率の高い中国からの撤収に躊躇のある企業も少なくない。そして、さまざまな意味での日米台、そして欧州、韓国との協力も大切だ。しかし、国交のない台湾、また国民感情の燻る韓国といかに協力するか、2023年には課題となろう。
習近平政権は、対外的な往来の面で規制を緩和しつつも、同時に国内向けには「生命の安全」を守るために新たな闘いを始めるとしている。1月22日の春節前後に国民の大移動があることを視野に、その後に感染のピークが到来、さらにその一ヶ月後には集団免疫が形成され、3月の全国人民代表大会を迎えられるという目算だろう。脆弱なワクチンで集団免疫を獲得しようとすれば、特に医療体制が弱いところで多くの犠牲者が出る。それをいかに最小限にするのか。また、中国と海外との移動を自由化するなら国際社会の感染上の「脅威」となる。日本、国際社会は中国産ワクチンの接種を有効なものとして認めるのかどうか。早急に判断する必要があろう。
中国は、集団感染を「有効なワクチン抜き」で形成するつもりだろう。1月20日過ぎに民族大移動が起きる「春節」があるので、1月末あたりに感染のピークを設定し、一月後の3月には事態を落ち着かせるつもりだろう。香港で11月にはゼロコロナを緩和しており、それをモデルにしたという説もある。いずれにせよ、医療体制が十分になければ、この政策は基礎疾患のある人は「命懸け」になる。北京などでの抵抗運動が生じる前からゼロコロナ緩和政策が採られていたことから、「方針転換ではない」と北京政府は述べるが、実質的な転換である。ゼロコロナの次は感染拡大。中国政府は次から次へと到来する大問題に対処できるかが問われている。
「開戦前夜」というのは何の開戦前夜なのだろう。中国から台湾へのサイバー攻撃などは以前から行われており、数年前には台湾の駐大阪代表が自殺に追い込まれたほどだ。むしろ、台湾はサイバー攻撃やフェイクニュースへの対処の経験を積み、市民に何がフェイクニュースか政府が伝えるシステムを持つなど、むしろ日本が学ぶべきところが多い。台湾は目下、2024年1月の総統選挙に向け「選挙の季節」に入っている。中国は、蔡英文総統、民進党を批判したり、アメリカの台湾支持の情報を混乱させるよなフェイクニュースを多くSNSなどに投下し現政権を揺さぶる。だが「鍛えられた」台湾の市民がこれに影響されるだろうか。答えば恐らく否だ。
中国はもはやワクチンにも頼らない、感染拡大を事実上容認することで集団免疫を獲得し、2023年3月の全国人民代表大会までに事態を落ち着かせようとしているものと思える。しかし、感染拡大に伴って感染者は病院に押しかけ、少なからず死者もでるであろう。特に1月中下旬に春節が来ることから、一層の混乱が予測できる。元々、ゼロコロナ政策はワクチンの問題と医療体制の不備が背景にあった。その背景は今も変わらない。ゼロコロナでなければ、なんでもありというわけにもいかないであろう。医療体制を可能な限り整備するか、重病者を選別して治療する体制を作るのか、問題は次の段階に移ったということである。
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