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7 高度成長とひずみ公害列島

1966(昭和41)年7月、ばい煙と亜硫酸ガスの異様な臭いに、苦しめられる四日市の子ども。石油コンビナートは、高度経済成長のエンジン役を担った一方、地元住民に大気汚染という深刻な公害を残した。その典型が四日市で、周辺の住民には大気汚染が原因とみられるぜんそく症状の呼吸器疾患が相次ぎ、「四日市ぜんそく」と呼ばれた=三重県四日市市

1968(昭和43)年4月23日、鍋島直紹科学技術庁長官(右)に抗議した阿賀野川有機水銀中毒事件(新潟水俣病)の被害者代表ら。産業発展を最優先するあまり、公害防止への政策が後手に回り、深刻な被害を残した。阿賀野川水銀中毒(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、水俣病は、被害者が健康被害に対し、損害賠償を求めた「4大公害訴訟」とされ、裁判はいずれも被害者側の勝訴で終わった=東京・霞が関の科学技術庁長官室

1968(昭和43)年9月、母の胎内で有機水銀におかされ、生まれながらの水俣病の子どもたち。当時の写真説明には「この苦しみを与えたのはだれか。22人生まれ、2人死んだ。残った子どもたちは必死に生きている」とある。水俣病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程の排水で汚染された魚介類を食べた住民が患った有機水銀中毒症。公式発見は1956(昭和31)年だが、当初、チッソは原因を否定し、行政も有効な対策をとろうとせず、被害の拡大を招いた=熊本県水俣市

1971(昭和46)年12月2日、スモッグで覆われて太陽の光もにぶる都心=東京・銀座

1972(昭和47)年8月10日、尾本信平社長(左から2人目)ら三井金属鉱業幹部に謝罪を求めるイタイイタイ病患者代表や支援団体の人たち。イタイイタイ病は三井金属鉱業神岡鉱山から流出したカドミウムが体内に蓄積して、骨軟化症や腎臓障害を起こす公害で、全身に激痛を伴うことから、この名前がついた=東京・日本橋室町の三井金属本社

1977(昭和52)年8月1日、この日に始まった水俣病の自主検診で、受診者の足の知覚検査をする原田正純・熊本大医学部助教授(当時)。患者の立場から水俣病の研究と治療に専念した水俣病の権威で、胎児性水俣病の発見者。骨髄性白血病で2012(平成24)年6月11日死去、77歳だった=熊本県・水俣市立婦人会館

戦後史クイズ

戦後史クイズ

Q12

高度経済成長が進むに連れ、ごみの処理が東京など都市部で深刻な問題になりました。東京では、23区内から出るごみの約7割をA区の埋め立て地で処理していましたが、悪臭やごみ火災、搬入車による交通渋滞などが発生。A区の区議会がほかの区からのごみの搬入に反対する決議をして、「ごみ戦争」と呼ばれる事態に発展しました。このA区とは東京都の何区でしょうか?

  • 1. 江東区
  • 2. 江戸川区
  • 3. 世田谷区
  • 4. 大田区