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蘇我スポーツ公園(千葉市)内に設置されたイビチャ・オシム氏銅像を囲む妻のアシマさん(写真右)と息子のアマルさん 写真提供/島沢優子
蘇我スポーツ公園(千葉市)内に設置されたイビチャ・オシム氏銅像を囲む妻のアシマさん(写真右)と息子のアマルさん 写真提供/島沢優子

ワンオペ育児でも人として母として認めてくれた

――アシマさんとオシムさんはアマルさんを筆頭に3人のお子さんを育てられました。家庭ではどんなお父さんでしたか?

アシマ (正解すると)ランプ(の明かり)が増えたり減ったりするテレビのクイズ番組があるでしょう?あんな感じよ。サッカーの監督もチームの調子がよければ、監督の評価は上がるでしょ。悪ければ、評価も下がる。前もって予想ができないわけです。気分の波があった。

――家族が翻弄されていた?

アシマ そうそう(うなずく)。父親が一番家族の中で偉いっていうような価値観のもとで育った人だから。独裁的な父親ではなかったけれど、世代的にもね、少し保守的でした。そもそも監督時代は(遠征や合宿で)月の半分は彼が家にいない生活でした。子どもたちと一緒にいたのは私だから、父親の代わりもする時間がたくさんありました。

オシムさんが最初にプロになったサラエボにあるFKジェリェズニチャルは「鉄道員」という意味のクラブで、ジェフも鉄道会社がかかわっているからとアシマさんらが持参した 写真提供/島沢優子
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――子育てはワンオペだったのですね。オシムさんは欧州と日本で数々のクラブを強豪に育て上げ、旧ユーゴスラビア代表、日本代表も率いましたから、家庭に戻る時間はなかったでしょうね……。アシマさんにとってもハードな子育て期に、親として心がけていたことは何ですか?

アシマ そうねえ。本人に選ばせたりとか、尊重したりはしましたね。親として子どもが違う方向に行ってないかどうかの確認だけをして、後は子どもたちに自由を与えていました。私がエゴイストな人間でなかったのが良かったんでしょうね。夫が私を人としても母親としても力がある、と認めてくれていたのも大きかった。私に対しても、子どもたちにもたくさんの愛情を注いでくれました。

――ジェフがレアルマドリッドと日本で試合をした際、オシムさんがジダンにサインをもらいに行ったそうですね。

アシマ そうなの。娘もジダンのサインが欲しいと夫にねだったのですが、孫にだけね。なぜなら、ジダンははもう結婚してるからだって彼は言ってました。男と女として親密になってはいけないという判断ですね(笑)。

2004年、ジダン選手が大活躍していたレアルマドリードが訪日、ジャパンツアーが開催された。写真はウェルディとの試合 Photo by Getty Images

(通訳/千田善)
 

オシムの遺産(レガシー)彼らに授けたもうひとつの言葉
この世を去って1年が経とうとしている。2003年から2007年という短い時間ながら、日本サッカーの発展に多大な影響を与えたイビチャ・オシム(享年80)。ジェフユナイテッド市原・千葉をJリーグで優勝争いができるクラブにまで押し上げ、最後の2年弱は日本代表監督として過去に類を見ない躍動的なサッカーを見せてくれた。
そんなオシムから人知れず「もうひとつの言葉」を授かった人たちがいた。育成、普及、指導、教育、リーダーシップ研究、スポーツ医療…様々な分野でオシムのフィロソフィーを受け継ぐ11人の男たちの情熱と葛藤とは?

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