2022年5月1日、80歳で天国へと旅立ったイビチャ・オシム氏。ジェフユナイテッド市原・千葉をJリーグで優勝争いのできるクラブに押し上げ、日本代表監督もつとめた。そんなオシム氏に出会って「人生が変わった」と語る人は多い。
ジャーナリストの島沢優子さんがオシム氏の命日に上梓したのが『オシムの遺産(レガシー)彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)だ。オシム氏の哲学を身近で感じ、人生が変わったという11人のエピソードが、オシムの言葉と共に綴られている。
本書から抜粋する第二弾は、ジェフのチームドクターをつとめた池田浩さんの章だ。オシム氏は選手の健康管理をどのように考えたのか。
大谷翔平選手がヌートバー選手に食事に誘われた際に「寝ているから」と断ったことが大きく報じられた。大谷選手にとってなにより大切なのは、身体のメンテナンス。野球をするためのケア。それを多くの人がストイックで真似できないという。
しかしここに描かれていることを見ると、大谷翔平選手が大切にしていることを、オシム監督も実践していたことが伝わってくる。
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61日間休みなし
チームドクターは、心配でたまらなかった。
目の前の選手たちは、懸命に走っている。だが、ボールはまともにつながらない。それぞれの判断もサポートも遅いのに、監督は「パススピードを上げろ!」と要求する。パスを受けに来る味方に合わせてボールスピードを落とすと「遅いっ」と雷が落とされるのだ。
「もう全然サッカーになってなくて。これで大丈夫かなとハラハラしていました」
そう話すのは、当時ジェフを任されていた池田浩だ。茨城県の名門日立一高サッカー部出身で、順天堂大学医学部大学院在学中に古河電工サッカー部のドクターに。その後Jリーグ発足からしばらくして、ジェフのチーフドクターになった。
オシムがやって来る前は、合宿には帯同するものの、練習日にクラブハウスを訪ねるのは1週間に1回。練習を見て、ケガ人のチェックをしたら監督に報告し、週末は公式戦に足を運ぶ。公式戦はドクター5人が交替で担当したが、池田はチーフなので、その6割を請け負った。
ところが、オシムが「ドクターが変わると選手のメンタルに影響するから、公式戦の帯同ドクターはおまえひとりでやれ」と池田に命じたのだ。