※本稿は、林望『リンボウ先生 老いてのたのしみ』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
昼から酒を飲み、テレビを眺める老後はつらい
年を取ってくると、人とのつきあい方について考えさせられることが多々あります。たとえばクラス会とか、クラブの同期会とか、若いころの紐帯を再確認するような「懐旧クラブ」のようなつきあいがありますね。
でも、私はどうもそういう懐旧クラブ的なつきあいは好みません。そういうのは、結局、どこかの飲み屋に集まって、おおいに飲みかつ談じ、むかしの綽名で呼びあったり、酔って放歌高吟したり、……そういうのはほんとに楽しいだろうかと自問してみると、やはり否定的に考える私がいます。
しかし、だからといって、徹底的にそういう「浮世づきあい」から遠ざかって過ごす、というのも、実際には孤独で寂しいかもしれません。
つまりそういう「世間に背を向けた生き方」を徹底すると、「孤老」というような暮らしぶりに至るであろうと思います。これすなわち、「孤」独な「老」人です。
すると、そこで想像される暮らしぶりは、家族も親友もいない老人が、昼から酒を飲み、テレビを眺める……そんな情景が思い浮かびますが、この孤老ほどつらい老い方はないのではないかと思うのです。
「おしゃべり」は老いないための能力
誰とも心通わす交流がなく、一人で寝起きし、黙々と食事をし、鬱々と暮らしていく。
仙人のように達観し、自ら望んで山村で一人生きるという道を選んだのなら、それはそれで楽しいのかもしれません。
しかし、人間は社会的な動物です。常に社会的なコミュニケーションの中にありたいという欲求があります。つまり人間は群居する動物なので、それはいわば「本能」ですから、年を重ねたからといって簡単に社会との縁を絶つというわけにはいかないのが現実でしょう。
やはり温かい心の通ったコミュニケーションを失わないで老いていくには、人から嫌われない努力が必要です。
人それぞれ、夫婦であるとか、親子であるとか、友人であるとか、恋人であるとか、地域の人たちであるとか、私の場合では教え子であるとか、大学の先輩後輩であるとか、年齢相応のさまざまな人間関係があるはずです。
つまり一言でいえば、「親しい家族や知友」は、生きていく上では大切な宝物で、そういう人たちとの忌憚ない会話の機会を持つこと、これが非常に大事だと思います。
そういう意味で「おしゃべり」であることは、心が老いないための何よりの能力だと言ってもよいのです。
