強さではなく弱さのシグナル 「存立危機事態」に中国が過剰反応◇金沢工業大学虎ノ門大学院教授・元海将 伊藤俊幸【コメントライナー】
2025年12月06日14時00分
台湾有事が「存立危機事態」になり得るとした、高市早苗首相の国会答弁に中国が過剰反応を示している。在中国日本大使を深夜に呼び出し、外務次官が「奉示召見」(上位指示を受けての召見)という極めて珍しい表現を用いて「中国統一の大業に干渉すれば正面から痛撃を加える」と威嚇した。さらに中国国防省は「日本が武力介入すれば、鉄の壁にぶつかり血を流す」という強烈な表現まで使った。こういった強硬な言動は過去を確認しても異例であり、確かに緊張の高まりを印象付ける。
欧米シンクタンク共通の視点
ここで重要なのは、言葉の強さそのものではなく、なぜここまで過剰に反応するのかという構造的背景だ。アメリカの外交問題評議会(CFR)やブルッキングス研究所、オーストラリアのローウィ国際政策研究所など主要な国際シンクタンクが指摘する共通の視点がある。それは、「中国の対外強硬姿勢は自信の表れではなく、国内脆弱(ぜいじゃく)性の反映である」。
習近平体制下の中国は、表面的には過去最大級の権力集中を実現した。しかし、裏側では経済減速、不動産バブル崩壊、若年失業率の高止まり、地方財政危機、そして人民解放軍の大規模粛清という深刻な統治不安が同時進行している。「習近平1強」に見える構造は、むしろ意思決定の硬直化と統治能力の低下をもたらし、強硬な言動により「外部に強さを示さざるを得ない状況」をつくり出していると見るべきではないか。
この観点から見れば、「習・王毅(外相)ライン」というトップが直接管理しなければならないほど、「台湾と日本を結びつける議論」が国内でセンシティブになっているという解釈も成立する。中国が本当に余裕のあるときは、こうしたトップ直轄の「奉示」を用いる必要がない。
反日デモが起きない理由
日本政府が2012年に沖縄県の尖閣諸島を国有化した際、中国は反日デモという「民衆動員カード」を使用し、騒ぎは2~3カ月続いた。しかし、2022年の「白紙運動」を経験した今の中国は、大規模デモを許容できる状態にない。厳格な「ゼロコロナ」政策に若者らが白紙を掲げて抗議した運動では、習主席の退陣まで叫ばれており、民衆を動員すると反政府化するリスクが高過ぎるためだ。
従って今回の対抗措置も、「渡航・留学自粛」「輸入規制」「官製メディア総動員」といったコストの低い表層的措置に限定されている。強硬な言動を長期に維持する構造はないと見るのが妥当である。
ただし、日中が首脳会談を伴う本格的な関係改善を実現するには時間がかかる可能性がある。12年の事案に対しては、14年に北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の安倍晋三・習近平会談でようやく雪解けの演出が行われたように、一定の政治条件と時間が必要なのである。今回も26年11月に開かれる中国・深圳APECを視野に入れるべきなのだろう。
声だけ大きくなる理由は
日本はこうした構造を踏まえ、短期的な対日批判の高ぶりに振り回されるべきではない。高市首相の発言は、15年の安全保障法制で整備された法理の延長線上にあるものであり、イギリスのBBC放送やロイター通信も「15年安保法制に基づく既存の法的概念であり、日本側は政策変更ではないと説明している」と伝えている。中国が求める全面撤回に応じる必要は全くない。
重要なのは、中国が強硬な言動を用いるときほど、その内側では統治不安が増大しているという理解である。国家や組織も人間と同じで、心理的安全性を失うと声だけが大きくなる。今回の中国の過剰反応は、強さではなく弱さのシグナルとして読むべきである。日本は感情ではなく構造を読み、冷静かつ着実に対応すべき時である。
(時事通信社「コメントライナー」の一部を加筆修正しました)
【筆者紹介】伊藤 俊幸(いとう・としゆき) 防衛大学校機械工学科卒業、筑波大学大学院修士課程(地域研究)修了。海上自衛隊で潜水艦はやしお艦長、在米大使館防衛駐在官、第2潜水隊司令、海上幕僚監部情報課長、情報本部情報官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、統合幕僚学校長、海上自衛隊呉地方総監などを歴任。2016年より現職。専門はリーダーシップ論、安全保障、国際関係、危機管理など。