神津 藤平(こうづ とうへい、1872年1月15日〈明治4年12月6日〉 - 1960年〈昭和35年〉10月11日)は、明治末期から昭和にかけて活動した日本の実業家である。長野県北佐久郡志賀村(現・佐久市)の豪農神津家の一族に生まれ、志賀村長や長野県会議員、六十三銀行(八十二銀行の前身)常務取締役を務めたのち1920年(大正9年)に河東鉄道、後の長野電鉄の初代社長に就任。以後40年にわたり長野電鉄社長を務め、その間志賀高原開発を主導した。 弟は地質学者の神津俶祐。孫に第80代内閣総理大臣の羽田孜がいる。