帰島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 15:31 UTC 版)
1890年(明治23年)7月2日首里役所長兼中頭役所長となり、3日兼官を解かれ、また宮古島役所長を兼務した。1892年(明治25年)春中頭郡内でケブカガニ(中国語版)・フトユビシャコモドキ(ブルガリア語版) を採集した。1893年(明治26年)3月バジル・ホール・チェンバレンに『おもろさうし』等の写本を提供、6月25日笹森儀助と会い、1894年(明治27年)12月来島した幣原坦に尚家宝物の閲覧を斡旋した。1895年(明治28年)11月29日帝国大学に本島産メックワハブ標本を寄贈した。 第4代県令西村捨三の県政を評価する一方、他の知事は成果を上げていないと批判し、当時の知事奈良原繁とも折り合わなかった。1896年(明治29年)4月1日郡制施行に伴い内閣により中頭郡長に任命されると、同日付で県から書記への降格を命じられ、6月10日非職、10月9日免官となり、以後は県属として事務職を務めた。11月11日北松浦郡平戸村228番地から首里区字赤平55番地に戸籍を移した。 1897年(明治30年)小川鋠太郎・和田規矩夫・太田朝敷・鳥居竜蔵・黒岩恒・熊谷釟吉・富永実達と沖縄県尋常師範学校に沖縄人類学会を設立した。 1900年(明治33年)3月15日沖縄で死去し、島尻郡真和志村古波蔵楚辺原共同墓地に葬られた。1921年(大正10年)後任斎藤用之助により洗骨・火葬され、平戸に移葬された。
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