青山景通(あおやまかげみち、1819年(文政2年) - 1891年(明治24年)12月11日)は、幕末から明治の日本の復古神道家。美濃国苗木藩の下級藩士。通称は稲吉(いなきち)。は長男、東京帝国大学の医学博士で後に男爵となった青山胤通は三男。江戸で平田篤胤の門人となり、書をより学んだ。王政復古期の改革で子の直通とともに重要な役割を担った。『経済総論』の写本も行っている。