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杉安峡(すぎやすきょう)は、宮崎県西都市を流れる一ツ瀬川にある景勝地。 風光明媚な景勝地で日向の嵐山と呼ばれ、夏場には花火大会も開催されていた。しかし、日向の嵐山の異名を取ったのは以下のような背景がある。当時はこの辺りに国鉄妻線が敷かれていたため、利便性に優れていた。そして、夏場は納涼のため、宮崎、延岡方面から観光客が押し寄せ、屋形船が往来し、旅館も多く建ち並び、それはさながら嵐山のような活況を呈したという。 また、その後に一ツ瀬ダムの工事が始まると、工事に携わる労働者を相手にした商店が軒を並べ、活況は続いた。しかし、その後ダム建設によって風光明媚な景色はすっかり変貌し、また沿線集落の過疎化などによって妻線が廃線に追い込まれると途端に衰退の一途を辿ることになった。 1980年(昭和55年)1月6日にこの杉安峡の一ツ瀬川に架かっている国道219号近くの吊り橋のケーブルが切れて22m下の川に22人が転落し死者7人を出す事故が発生した。一度に大勢の人が吊り橋を渡ろうとしてケーブルが重みに耐え切れず切断したのが原因と言われている。 現在はひっそりとしており、往事の面影を残す物はほとんどなくなっている。それでも観光地としては県内でも知られており、現在も納涼や避暑、紅葉見物などの目的で訪れる人は多い。また、植生の宝庫でオガタマノキの繁殖地としても知られている。の指定区域。

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  • 杉安峡(すぎやすきょう)は、宮崎県西都市を流れる一ツ瀬川にある景勝地。 風光明媚な景勝地で日向の嵐山と呼ばれ、夏場には花火大会も開催されていた。しかし、日向の嵐山の異名を取ったのは以下のような背景がある。当時はこの辺りに国鉄妻線が敷かれていたため、利便性に優れていた。そして、夏場は納涼のため、宮崎、延岡方面から観光客が押し寄せ、屋形船が往来し、旅館も多く建ち並び、それはさながら嵐山のような活況を呈したという。 また、その後に一ツ瀬ダムの工事が始まると、工事に携わる労働者を相手にした商店が軒を並べ、活況は続いた。しかし、その後ダム建設によって風光明媚な景色はすっかり変貌し、また沿線集落の過疎化などによって妻線が廃線に追い込まれると途端に衰退の一途を辿ることになった。 1980年(昭和55年)1月6日にこの杉安峡の一ツ瀬川に架かっている国道219号近くの吊り橋のケーブルが切れて22m下の川に22人が転落し死者7人を出す事故が発生した。一度に大勢の人が吊り橋を渡ろうとしてケーブルが重みに耐え切れず切断したのが原因と言われている。 現在はひっそりとしており、往事の面影を残す物はほとんどなくなっている。それでも観光地としては県内でも知られており、現在も納涼や避暑、紅葉見物などの目的で訪れる人は多い。また、植生の宝庫でオガタマノキの繁殖地としても知られている。の指定区域。 (ja)
  • 杉安峡(すぎやすきょう)は、宮崎県西都市を流れる一ツ瀬川にある景勝地。 風光明媚な景勝地で日向の嵐山と呼ばれ、夏場には花火大会も開催されていた。しかし、日向の嵐山の異名を取ったのは以下のような背景がある。当時はこの辺りに国鉄妻線が敷かれていたため、利便性に優れていた。そして、夏場は納涼のため、宮崎、延岡方面から観光客が押し寄せ、屋形船が往来し、旅館も多く建ち並び、それはさながら嵐山のような活況を呈したという。 また、その後に一ツ瀬ダムの工事が始まると、工事に携わる労働者を相手にした商店が軒を並べ、活況は続いた。しかし、その後ダム建設によって風光明媚な景色はすっかり変貌し、また沿線集落の過疎化などによって妻線が廃線に追い込まれると途端に衰退の一途を辿ることになった。 1980年(昭和55年)1月6日にこの杉安峡の一ツ瀬川に架かっている国道219号近くの吊り橋のケーブルが切れて22m下の川に22人が転落し死者7人を出す事故が発生した。一度に大勢の人が吊り橋を渡ろうとしてケーブルが重みに耐え切れず切断したのが原因と言われている。 現在はひっそりとしており、往事の面影を残す物はほとんどなくなっている。それでも観光地としては県内でも知られており、現在も納涼や避暑、紅葉見物などの目的で訪れる人は多い。また、植生の宝庫でオガタマノキの繁殖地としても知られている。の指定区域。 (ja)
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  • 杉安峡(すぎやすきょう)は、宮崎県西都市を流れる一ツ瀬川にある景勝地。 風光明媚な景勝地で日向の嵐山と呼ばれ、夏場には花火大会も開催されていた。しかし、日向の嵐山の異名を取ったのは以下のような背景がある。当時はこの辺りに国鉄妻線が敷かれていたため、利便性に優れていた。そして、夏場は納涼のため、宮崎、延岡方面から観光客が押し寄せ、屋形船が往来し、旅館も多く建ち並び、それはさながら嵐山のような活況を呈したという。 また、その後に一ツ瀬ダムの工事が始まると、工事に携わる労働者を相手にした商店が軒を並べ、活況は続いた。しかし、その後ダム建設によって風光明媚な景色はすっかり変貌し、また沿線集落の過疎化などによって妻線が廃線に追い込まれると途端に衰退の一途を辿ることになった。 1980年(昭和55年)1月6日にこの杉安峡の一ツ瀬川に架かっている国道219号近くの吊り橋のケーブルが切れて22m下の川に22人が転落し死者7人を出す事故が発生した。一度に大勢の人が吊り橋を渡ろうとしてケーブルが重みに耐え切れず切断したのが原因と言われている。 現在はひっそりとしており、往事の面影を残す物はほとんどなくなっている。それでも観光地としては県内でも知られており、現在も納涼や避暑、紅葉見物などの目的で訪れる人は多い。また、植生の宝庫でオガタマノキの繁殖地としても知られている。の指定区域。 (ja)
  • 杉安峡(すぎやすきょう)は、宮崎県西都市を流れる一ツ瀬川にある景勝地。 風光明媚な景勝地で日向の嵐山と呼ばれ、夏場には花火大会も開催されていた。しかし、日向の嵐山の異名を取ったのは以下のような背景がある。当時はこの辺りに国鉄妻線が敷かれていたため、利便性に優れていた。そして、夏場は納涼のため、宮崎、延岡方面から観光客が押し寄せ、屋形船が往来し、旅館も多く建ち並び、それはさながら嵐山のような活況を呈したという。 また、その後に一ツ瀬ダムの工事が始まると、工事に携わる労働者を相手にした商店が軒を並べ、活況は続いた。しかし、その後ダム建設によって風光明媚な景色はすっかり変貌し、また沿線集落の過疎化などによって妻線が廃線に追い込まれると途端に衰退の一途を辿ることになった。 1980年(昭和55年)1月6日にこの杉安峡の一ツ瀬川に架かっている国道219号近くの吊り橋のケーブルが切れて22m下の川に22人が転落し死者7人を出す事故が発生した。一度に大勢の人が吊り橋を渡ろうとしてケーブルが重みに耐え切れず切断したのが原因と言われている。 現在はひっそりとしており、往事の面影を残す物はほとんどなくなっている。それでも観光地としては県内でも知られており、現在も納涼や避暑、紅葉見物などの目的で訪れる人は多い。また、植生の宝庫でオガタマノキの繁殖地としても知られている。の指定区域。 (ja)
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  • 杉安峡 (ja)
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