20年後の仕返し
「せっかくの申し出ですが。お見合いはお断りします」
ライオットは想定していた言葉と真反対の返事に耳を疑った。返事の意味を理解すると澄ました顔のケネスに苛立ちがこみ上げてくる。
「なぜだ? 万が一にでも上手くいって婚約となれば、そちらにとってもメリットのある話だと思うが」
暗に「格下の家の分際で不満があるのか」と脅すと、ケネスは昔から苦手な真意の読めない微笑を浮かべた。
「ええ、もちろんですとも。しかし、社交界の華と名高いゴールディ公爵令嬢にお見合いを申し込まれるなど、うちの息子にはあまりにも分不相応に過ぎます。ご令嬢に一目会いたいと恋い焦がれる令息たちの嫉妬の炎で焼き尽くされてしまう」
やはりこの男は苦手だ。内心不満に思っているところを言い当てられてライオットは学生時代に戻ったように苦い思いがこみ上げてきた。
ゴールディ公爵家のライオットにとってオウル侯爵家のケネスは学生時代はあらゆる面で張りあう良きライバルだった。
唯一、勝負にならなかったのは女性関係だ。
幼なじみの公爵令嬢で最愛の婚約者レジルを愛しつつも華やかな少女たちとの遊びを楽しむライオットと違い、彼は地味な婚約者だけを愛し続けた。ライオットは内心つまらない男だと思いつつも、卒業するまでケネスと競い合った。
結婚後、ライオットは一男一女をもうけた。
美しい妻にそっくりな愛娘は仲の良い自分たちに憧れ、幼い頃から「私が好きになった人と結婚する」と運命の男性が現れる時を夢見ている。
父親としては娘をさらう男が現れるのは気に食わないが、まあそれなりの者だったら許してやろうと思っていた。
しかし、愛を司る神のいたずらか。娘はよりにもよってケネスの息子に恋をして、当主のライオットに婚約をねだってきた。
念を入れて調べたが息子は能力も人柄も平凡だ。顔も密かに女子生徒たちに想いを寄せられていた父親ならともかく、どこにいても景色に埋もれるような地味な母親に似ている。雨粒をまとって輝くアジサイのように華やかな娘には何一つ釣り合わない。
ライオットはありとあらゆる言葉で娘をなだめたが初恋に舞い上がる娘に根負けした。一度会えば満足するだろうと、ケネスと直接会って耳ざとい貴族たちに気づかれないように密かにお見合いをしないかと持ちかけた。
今まで存在すら知らなかった男を大事な娘に会わせるのも腹が立つが。こうもあっさり断られるのも興味がないと言われているようでしゃくにさわる。ライオットの葛藤に気づかないケネスは淡々と続ける。
「両家にとってとりたててメリットがあるわけでもないですし、ご令嬢も時間が経てば興味をなくすでしょう。お互いの家庭の平穏のためにも婚約の話はここだけの話にしておいた方が良いと思いますが」
「家庭の平穏? どういうことだ?」
「いえ、社交界の華であるゴールディ嬢がいよいよ婚約に動き出したとなれば、想像力豊かなお喋り鳥たちがさぞにぎやかにさえずるでしょう。お互いに面倒事に巻き込まれるのは避けたいかと思っただけですよ」
ライオットが問い返すと、ケネスはしまったといわんばかりにポーカーフェイスを一瞬崩した。その変わらない表情から学生たちにフクロウとからかわれていた彼が見せたミスに好奇心がむずむずとこみ上げてくる。
「そんなことは誰が相手でもそうだろう。何だ、我が家と娘に不満でもあるのか?」
「いえ、そんなことは……」
「だったら、何だ。口の堅い君がそういうぐらいなのだからよっぽどの理由があるのだろう。言ってみろ」
ライオットが急かすとケネスは渋い顔をしたが、やがて諦めたように口を開く。
「やれやれ、あなたときたらそういうところは変わりませんね。わかりました、お話しましょう。ただ、これはお互いの家、いえ私たちにとってとてもデリケートな話ですので。念のために『ここで話したことは口外しない』という魔術誓約を結んでくれませんか」
「魔術誓約を結ぶほどの話だと?」
「ええ、家族にも話しづらい個人的な理由ですので。話の分かるあなたが相手だったからまだ良かったものの、先ほどの私のようについうっかり口を滑らせてしまう、ということがあったら困りますからね」
簡易的なものとはいえ破れば貴族としての信用を失う魔術誓約を持ち出されて警戒するも。ケネスの慎重な口ぶりやライオット自身にかかわることということに好奇心をくすぐられてうなずく。
「……わかった、君を信じて結ぼう」
「そうですか。では、そのように」
ケネスは微笑むと書棚から魔術誓約紙を取り出した。やけに準備が良い気もするが、几帳面な彼のことだから客を通す応接室にはいつも準備しておいてあるのだろうか。誓約を交わすとケネスは淡々と話し出す。
「さて、あなただから打ち明けますが。この婚約を断る理由はあなたの奥方と私の妻が学生の時から嫌いあっているからです。例え、私たちがとりなしてもお互いに長年の不満が溜まっていますからね。今さら良い方に変わることはないでしょう」
「レジルと君の奥方が昔から仲が悪いだと? しかし、君の夫人は確か伯爵令嬢だろう。公爵令嬢のレジルと関わることなどないだろうに」
「妻はかつてのトワイス公爵令嬢の学友で今も親しくしていますので。学生時代は頻繁に奥方と顔を会わせていたのですよ」
淡々と語るケネスにライオットも冷静な表情を保ちながらも、きんきんに冷やしたエールを一気に飲み干したように身体がヒヤリとした。
裕福な公爵令嬢として蝶よ花よと育てられたレジルはお喋りで陽気な女性だが、プライドが高く一度機嫌を損ねるとなかなか戻らない。特に同い齢で幼い頃から比べられてきたトワイス公爵令嬢とはいつも張り合っていて、どんなにささいなことでも彼女に負けると手が付けられないぐらいに怒り狂っていたものだ。
幸い、レジルは公爵令嬢として外では完璧な淑女の面を被り、ライオットの知る限りではその激情は優しい母親として振る舞う子どもたちをのぞく家族や自分の前でしかさらさなかったはずだが。
トワイス公爵令嬢は何かを察したのかレジルのことを露骨に避けていて、レジルもまたそんな澄ました態度も気に入らないと彼女のことをもはや憎悪と呼べるほど敵視していた。
その怒りはすさまじく、トワイス公爵令嬢が結婚して侯爵夫人になった今でも同じ場にいると聞くと苛立ちのオーラを出すぐらいに毛嫌いしている。
ケネスの妻は大人しい女性だが、トワイス公爵令嬢と一緒にいた時に何かの拍子にレジルの怒りをかったのだろうか。
そういえば、自分が社交場でケネスと話をしている時にも、いつもは内心はどう思っていても誰にでも礼儀正しく話しかけるレジルはケネスの妻とは挨拶だけ交わして喋らず、まるで彼女を無視するかのようにこちらの話に混ざって来ていた。
それに、思い返せば学生時代にトワイス公爵令嬢に冷たくあしらわれて怒り狂ったレジルが「あの女もそのとりまきたちもえらそうにっ」と激しく罵っていたことがあった。
もしかして、レジルはライバルのとりまきであるケネスの妻のことも嫌っているが、夫の友人の妻だからと自分の前では不満をこらえているのだろうか。
ライオットの不安を見抜いたように、ケネスが悩みを打ち明けるように静かな声で続ける。
「妻は心優しく、自分よりも他人の幸せを願う温和な人です。もし、ゴールディ嬢がどうしても息子との婚約を望むのならば受け入れてくれるでしょう。
しかし、嫌いな相手への長年溜まった嫌悪はそう簡単には変えられませんからね。婚約を機に親戚としてお互いに頻繁に顔を会わせる上に、これまで夫のあなたに気を遣わせないように気をつけていたように、これからはかわいい子どもたちにも知られないように上手く付き合うとなると。あなたの奥方にとってもなかなかのストレスでしょう」
「それは……、そうだな。レジルも娘の幸せのためならば苦手な相手との付き合いも受け入れるだろうが。夫として無理強いをするのは気が進まないな」
ケネス一家の前ではにこやかに振る舞い、家に帰って自分と2人きりになったとたんにぎりぎりと目を吊り上げる恐ろしい妻の顔が目に浮かんでライオットは身震いした。この婚約のことは妻にはまだ言っていないが、どんな目にあっていたか考えるだに恐ろしい。
ケネスはほっとしたように笑って続ける。
「ええ、同感です。お恥ずかしい話ですが、思い切ってあなたに言って良かったですよ。若い頃の夫人にそっくりだと評判のゴールディ嬢には、夫人も心から祝福できるような素晴らしい相手が現れるでしょう」
「ああ、娘にはもっとすばらしい相手を探すことにするよ。貴重な話に感謝する。魔術誓約を結んだがくれぐれもこのことは口外しないでくれ」
「ええ、もちろんですとも。では、ごきげんよう」
ケネスに見送られて帰りの馬車に乗りこんで1人になると、ライオットは重荷を下ろすようにほうっとため息をついた。
今日ここに来て良かった。まさか妻がたびたび顔を会わせるケネスの妻を忌み嫌っているだなんて驚いたし、どれだけの不満を溜めこんでいるのかと考えると恐ろしい。
一時会うだけでも多大なストレスを溜めこむのだ。そんな人物にかわいい娘を嫁がせて縁戚になどなったら、ケネスの言う通りライオットの心の平穏など消し飛ぶだろう。
レジルに知られる前に急いで帰って娘を口止めし、妻の交友関係、特にトワイス公爵令嬢関連のことを調べなければ。青ざめたライオットは御者を急かした。
*****
「父上、ゴールディ公爵令嬢との婚約の話はなくなったのでしょうか」
「ああ、きっぱり断った。すぐに彼女に婚約を申し込んできなさい。何なら今すぐ彼女の元へ馬車を向かわせても良いぞ?」
「そんな子どもの時のようなことはできませんっ! でも、ありがとうございます、父上。さっそく手紙を書いて送ります」
昔、大好きな幼なじみ会いたさに父親にねだって馬車を出してもらったことをからかわれた息子は顔を真っ赤にして抗議したが、すぐにキリっとした顔になる慌ただしく走り出す。その不安が晴れてすっきりと晴れた笑顔にケネスは微笑んだ。
ケネスにとってゴールディ公爵令息ライオットは厄介な男だ。
入学した時から彼は成績から日常生活の過ごし方まで張り合ってきて、自分の方が優れているのだと自慢してきた。それだけならば適当に聞き流していれば良かったが。ライオットは女性関係で深刻な問題を起こし、被害をおさえるためにも彼に次いで爵位の高い自分が嫌々後始末をする羽目になった。
ライオットは恋多き男で、常に幼なじみで最愛の婚約者レジルの他に遊び相手と称する恋人たちを侍らせていた。
プライドの高いレジルは表向きはそれを笑って許していたが、裏ではとりまきたちを使って陰湿な嫌がらせをして恋人たちを排除していた。そして、相手がいなくなったライオットが戻って来ると何も気づかないふりをして笑って受け入れ、ライオットもまた新しい相手が見つかるまでレジルだけを愛していた。
しかし、だんだんとレジルの仕打ちが広まり令嬢たちがライオットを避け始めると、彼は身分を振りかざして逆らえない下位貴族たちに手を出した。そして、嫉妬に怒り狂ったレジルは彼女たちをストレス解消のかっこうの獲物として罵倒した。
ケネスと公爵令嬢として威張り散らすレジルに唯一物申せるトワイス公爵令嬢はライオットとレジルを叱りつけ、高位貴族に目をつけられて怯える被害者たちを助けたが。ケネスを女心がわからないとバカにするライオットは聞く耳持たず、レジルはとりまきたちを使って自分たちに見つからないように影で動くようになった。
そんなある日、たまたま妻の友人がライオットに声をかけられたとして、レジルととりまきたちに呼び出された。
妻は囮になるといって、ケネスとトワイス嬢に知らせると友人の代わりに行った。そして、口汚く罵るレジルたちに堂々と言い返し「婚約者に不満があるのならば本人に直接言いなさい」とぴしゃりと叱り飛ばした。
そして、怒り狂ったレジルが妻に手を上げかけたところに見守っていたケネスたちが飛び出した。ライオットや彼女の本性を知らない貴族たちに醜態を黙っていることと引き換えに、婚約者としてライオットをきっちりと見張ることや、彼に強引に言い寄られた女子生徒たちに手を出さないと魔術誓約を結ばせた。
それからは、レジルは元々嫌っていたトワイス公爵令嬢と自分に恥をかかせたケネスの妻、それに自分の醜い内面を知るトワイス公爵令嬢の友人たちに怒りを向けるようになった。しかし、醜聞をちらつかせるトワイス公爵令嬢と弁の立つケネスの妻に言い負かされて徐々に勢いを失っていった。
ライオットもまたレジルの束縛が強くなったことやうっかりトワイス公爵令嬢と関わりのある令嬢に手を出してレジルの怒りを買いたくないと遊びをやめた。
翌年に王族が入学して来たことで外面の良いレジルとライオットは大人しくなり、表面上はおさまった。
しかし、理不尽に巻き込まれる人々がいなくなっても、理不尽な目にあわされた人々が受けた仕打ちや怒りはなくならない。
トワイス公爵令嬢とケネスの妻を含む友人たちは卒業後も親しく交流を続けているが、ゴールディ公爵夫人のレジルとかつてのとりまきたちとの付き合いは拒絶している。そして、かつてライオットとレジルに迷惑をかけられた女性たちを身内や友人たちに持つケネスや貴族たちも。
だから、息子と幼なじみが婚約を結ぼうという時にライオットが娘かわいさに邪魔をして来た時には、あの時の怒りもこみ上げて自分だけは痛い目に合わなかった彼に20年前の仕返しをしてやろうと考えついた。
そして、わざと興味を惹いて彼が一番恐れる妻への恐怖を煽り、自ら遠ざかるように誘導した。
妻の逆鱗に触れることを恐れた父親が愛娘にろくな理由も言えずにただ「婚約はできない」と言って、関わることすら無理やりやめさせたら。そして、その隙に想い人が他の少女と婚約を結んだら。
娘の怒りは自分の邪魔をした父親に向かうだろう。
そして、自分の娘はかわいい母親はなぜ娘の願いを叶えなかったのか夫をなじり、娘の初恋の相手が誰だったかを知れば長年憎んでいる相手に拒絶された屈辱に怒り狂うだろう。
しかし、ライオットは魔術誓約によっていくら恐ろしい妻に罵られても、今日ケネスと話したことは一切口にできない。
かつてライオットに目をつけられレジルに罵られて恐ろしい目に合いながらも報復を恐れて泣き寝入りせざるを得なかった令嬢たちと同じ目にあうこと。そして、自分たちの悪行のせいでかわいがっている娘に恨まれること。
それがケネスのゴールディ夫妻への20年前にやられたことへの仕返しだ。
「さて、夫人に手紙を送らないと」
トワイス公爵令嬢、今は侯爵夫人にはあらかじめこのことを知らせてある。
社交界で力を持つ彼女は20年前と同じ過ちは繰り返さないと、息子とその婚約者を逆恨みするだろうゴールディ公爵夫人に嫌がらせをされないように守りぬくと手を打ってくれている。
ゴールディ公爵夫妻と子どもたちが婚約を望んでもケネスと同じ理由で婚約を断る人々が続くかもしれない。
なぜ自慢の子どもたちが婚約を断られるのか。いつかゴールディ公爵家が真実を知ることがあればそれは親切な人々の口からだろう。
いや、もしかしたらそんな人たちもいないかもしれない。誰だって怒りにまかせて残酷な仕打ちをすることで有名な公爵夫人と関わりたくないだろう。
「あなた、お茶の用意ができましたよ」
「ああ、今行くよ」
ケネスは呼びに来た最愛の妻に微笑んだ。